法人格のないお寺が沢山

これ実はかなりあります。メッチャあります。

会社経営をしていた身からすると、この「法人格なしに」大きなお金と人を管理しているって普通じゃないよな…


むしろ、未だに宗教法人化していないのに「寺を守る」と言っているなら、危機感が足りないとすら思います。住職と坊守の2人だけでは どうしても限界があります。法人制度を検討すべきではないでしょうか?


宗教法人制度は、宗教団体が礼拝施設や財産を所有し、維持運用し、目的達成のための業務や事業を行うための“法律上の土台”として用意されているものです。文化庁も、宗教法人とは認証を経て法人格を取得した宗教団体だと説明しており、宗教法人法の目的も、宗教団体に法律上の能力を与えて財産管理や運営の基礎を確保することにあると文化庁が示しています。 (文化庁ホームページから引用)


だからこそ言いたい。
お寺を個人のまま回している状態は、「伝統を守っている」のではなく、「整理を先送りしている」だけになりやすいです。
個人経営のまま何がまずいのか。
一番大きいのは、寺と住職個人の境目が曖昧になることです。
収入も支出も、建物も土地も、名義も通帳も、頭の中の感覚で回し始めると、いつの間にか「寺のお金」と「家のお金」が混ざる。すると、経理の問題では済まなくなります。外から見たときに、寺としての意思決定なのか、住職個人の財布事情なのかが見えなくなるからです。これは運営としてかなり危ういです。宗教法人は法令や自ら定めた規則に従った適切な管理運営が求められる一方、個人のままだと、そうした団体運営の枠組み自体が弱くなりやすいです。
さらに怖いのは、承継と相続の局面です。
今の代は何とかなるんです。問題は次です。住職に万一のことがあったとき、個人名義の財産が多いほど、相続の話と寺の存続の話が絡みます。すると寺が宗教施設なのか、個人資産なのか、現場感覚だけでは押し切れなくなる。家族間で揉める後継者が動けない、処分や名義変更で時間を失う。寺を守るどころか、寺が“個人の相続案件”に引きずり込まれるんです。
対外的な信用も弱いです。
寺は、信者・門徒・檀家・地域・取引先・金融機関・行政など、多くの相手との関係で成り立ちます。そのとき、個人で運営していると、どうしても「この寺は組織として続くのか」「この契約は誰の責任で結ばれているのか」「今の住職個人がいなくなった後はどうなるのか」という不安を持たれやすい。
つまり、中で曖昧、外から見ても曖昧なんです。
これで「信頼してください」は、かなり無理がある。
しかも厄介なのは、個人経営のお寺ほど、本人は危機感を持ちにくいことです。
「今まで問題なかった」
「昔からこの形でやってきた」
「手続が面倒」
「税理士にまだ急がなくていいと言われた」
こういう言葉で先延ばしにしがちです。
でも、それって全部、今日困っていないだけの話です。
本当に見るべきなのは、5年後、10年後、次の代に渡すときに壊れないかどうかです。
もっと言えば、宗教法人化していない寺には、どこかに
寺は自分の代さえ回ればいい
という甘さが出やすい。
自分が元気なうちは回る。顔も効く。地元も知っている。昔からの付き合いもある。
でも、それは組織が強いんじゃない。その人個人が何とかしているだけです。
人が変わった瞬間に崩れる仕組みなら、それは守れているとは言いません。
寺は本来、住職個人の人生より長く続く前提のものです。
なのに、運営の根幹を個人にぶら下げたままにするのはおかしい。
会社で言えば、会社の通帳も不動産も全部社長個人名義で、会計も意思決定も曖昧なまま「うちは大丈夫です」と言っているようなものです。
そんな状態を見たら、普通は「いや、先に土台を整えろ」となるはずです。
もちろん、宗教法人化すれば万能という話ではありません。
法人化した後も、規則、役員、財務、財産処分など、適切な管理運営が必要です。会社だったら当たり前にやってることです。
でも逆に言えば、そこまで含めて整えるのが“寺を本気で残す”ということです。
面倒だからやらない、分からないから放置する、昔からこうだから変えない。
この姿勢こそが、一番寺を精神と経済を弱らせます。

宗教法人化もせず、会計も分けず、承継の備えも薄いまま「寺の未来が心配」と語っても、説得力はありませんよね。
それは未来を守ろうとしているんじゃなくて、
問題を見ないようにしているだけだと私は思います。