わかりくい法話

仕事柄、何百というお寺のホームページを拝見します。ここでは、法話=お坊さんのお話ということにしましょうか。

お寺育ちではない私だからこそ、毒舌になって言いたいことがあります。

難しく話して伝わらない法話は、法話として弱い。
法話は、賢く見せるためのものじゃなくて、相手に届くためのものだと私は思う。
それを わざわざ 専門用語を並べて、回りくどく話して、聞いている人が「結局何が言いたいの?」となるなら、本末転倒ですよね。

「坊さんの法話って、難しく話しすぎじゃないですか。
でも本来、大事なことほど誰にでもわかる言葉で伝えるべきだと思う。
伝わらない話は、良い話ではなく“わかりにくい話”なだけ。
法話は知識を見せる場じゃなくて、人の心に届かせる場だろ、と言いたい。」
もう少し強めに言うなら、
「難しい言葉で話せば深く見える、みたいなのは勘違い。
聞く側に伝わらないなら、それは深いんじゃなくて不親切
法話は“理解させること”じゃなく、“届くこと”が大事じゃないのか。」

正直、伝わらない時点でそれはもう法話として失敗だろ。
難しい言葉を並べれば立派に見えると思ってるなら勘違い。
聞いてる側は、知識自慢を聞きに来てるんじゃない。
救われる言葉、腑に落ちる言葉、明日を少し前向きに生きられる言葉を聞きに来てる。
簡単に話せないのは、深いんじゃなくて伝える努力が足りないだけ。

難しくしか話せないなら、それは“深い話”じゃなくて、ただ説明が下手なだけ。
相手に伝わらない法話に価値があるみたいな空気こそ、おかしい。
法話は賢さを見せる場じゃない。
誰でもわかるように話してこそ、本当に力のある言葉だろ。

そう思うのは私だけでしょうか?